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桜心中(後編)

昔五条あたりに、源中納言とて万にやさしき人おはしける。北の御方は大臣殿の御娘なり。姫君一人おはします。御名をばかざしの姫君とぞ申ける。御かたちを見るに、髪のかゝり、眉、口つき、いつくしくて、春は花の下にて日お暮らし、秋は月の前にて夜を明かし、常には詩歌を詠じ、色/\の草花をもてあそび給ふ。中にも菊をばなべてならず愛し給ひて、長月の頃は、庭のほとりを離れがたくおぼしめして、歳月お送り給ふ。
十四と申秋の末つ方に、菊の花のうつろひゆくを、限りなく悲しきことにおぼしめし続けて、うちまどろみ給へば、年の程二十余りなる男の、冠姿ほのかに、薄紫の狩衣に、鉄漿黒に薄化粧、太眉つくりて、いと花やかなるにほひの、やんごとなき風情は、古への業平、光る源氏もかくやとおぼしくて、姫君に寄り添ひ給へば、姫君は夢現ともおぼえず、起き騒がせ給へば――


 僕は学校の図書館で、昨日叔父が話していた「かざしの姫君」を読んでいた。菊の精と女の、美しい異類婚姻譚だ。確かに叔父の話とこの「かざしの姫君」はよく似ている。
 だが「かざしの姫君」は物語だ。実際に花の精が現れることなんて、ありえるのだろうか。
 ふと、叔父の桜を眺める様子を思い出した。あんなに熱心に見つめられたら、桜だって頬を赤らめることもあるのかもしれない。そんな気もした。世の中目に見えることだけが本当とは限らない。
 第一桜に惚れられるなんてロマンチックじゃないか。しかし、指を切り落とすなんて、心中立てのつもりだろうか。桜の精っていうのは、ずいぶん気性が激しいんだな。そんなことをお気楽に考えた。
 一つ心配なことがある。それは、異類婚姻譚の多くは、破局で終わるということだ。「かざしの姫君」の場合、ある日、かざしの姫君の父源中納言は、天皇から菊を献上するようにと命令される。その日の暮れ方、菊の精はかざしの姫君の元を訪れ、別れを告げると、それきり姿を現さないのだ。叔父と桜の精は、どのような結末を迎えるのだろうか。


 結末は、思った以上に早くやってきた。
「もしもし」
 その日の夜中に、突然電話が鳴った。なかなか鳴りやまないベルに、僕はしぶしぶ電話口にでたのだった。
「あっ……もしもし、隆君? 理絵です。夜分遅くにごめんなさいね」
 弱々しい声だった。
「理絵おばさん? いったいどうしたんですか?」
 こんな時間に電話をかけてくるくらいだ。きっとただごとではない。
「うちの人、死んだわ」
「えっ?」
「さっき警察から連絡があったの。桜の木にね、ガソリンをかけて、火をつけて。その火の中に、飛び込んだの」
 理絵おばさんはそう言うと、わっと泣き出した。
 赤々と燃え上がる桜が目に浮かんだ。翻る炎に包まれた、絢爛たる桜が。
飛び散る火片は、花びらのように見えただろう。散り際の桜は、もう一度満開の花を咲かせたのだ。火の花を咲かせた桜の元へ飛び込んでいった叔父は、きっとあの恍惚の表情を浮かべていただろう。桜を目にするときに浮かべていた、あの心奪われたような表情を。


 かざしの姫君の元にも、叔父の元にも、とりわけ愛していた花の精が現れた。かざしの姫君の場合は菊の精が、叔父の場合には桜の精が。果たして彼ら以外の人間に、花の精たちの姿は見えたのだろうか。
 桜を見つめていた叔父の姿を思い出すたびに、僕はふと思い描くのだ。彼らの目には確かに見えていた、花の精の姿を。



※和歌は『古今和歌集』 新編日本古典文学全集十一(小学館)、「かざしの姫君」は『室町物語集』上 新日本古典文学大系(岩波書店) より引用。

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